染井吉乃のブログ

とりあえず思いついた事を綴ることから始めよう

春の気分はセンチメンタル

まだ寒い日もありますが、日中はだいぶ暖かくなってきて、車内だと暑いくらいに感じる事もある今日この頃。

そんな季節の変わり目である「春と秋」の夜には何となく寂しさ、切なさを感じて感傷的な気分になってしまう人もいるのではないでしょうか?

 

季節の変わり目は気温が大きく変化して、体もそれに合わせて変化しなくてはなりませんが、自律神経がそれに上手く対応することができないと鬱になりやすい原因となるそうです。

 

これくらいの気候になると思い出すのは、二十歳前後の頃に深夜になると友達がバイトしていたコンビニに出向き、廃棄のパンを貰って勤務中の友達とレジ横でくっちゃべっていた事。

 

田舎のコンビニなので、お客さんもほとんど来ないため、駐車場で暗い中キャッチボールをして遊んでいた事もあったなぁ。

時には、友達がどんどん集まってきて、入り口横の駐車場で座り込んで朝まで談笑するなんて事もあったなぁ。

今思えば、ただの迷惑行為なんだけれど、とにかく田舎だったので巡回の警察官が来ても軽く注意されて終わってたなぁ。

 

思い出すと、懐かしさと、無駄な時間を過ごしていたという後悔と、無駄な時間を何も考えずに過ごせていた若さへの嫉妬と、色々な感情がぶわっと沸いてきてセンチメンタル。

 

これから桜が咲き、卒業や人事異動などで別れの悲しさを抱く人と、入学や入社などでキラキラとした希望を持った人と同時に不安を抱える人と、色んな感情が入り混じって、桜が散ってセンチメンタル。

 

秋とはまた少し何か違うセンチメンタル。

 

それでも時計の針は進み、腹が減ってはご飯を食べて、眠くなっては寝て、ほうれい線は濃くなっていくのだから、このセンチメンタルな気持ちも毎年2回やってくるけど、自分の大事な感情の一つであると抱きしめて前に進んでいこう。

 

不安や焦燥感に襲われても、後になってみれば、何だそんなことでと思える日がきっと来ると思うよ。無理に頑張らなくてもいいから、一歩ずつ前に進もう。

 

なんて書いてみる。

 

 

逆にもっとこの時期のセンチメンタルに浸りたいんだよ、という人にオススメなのが「秒速5センチメートル」という映画。

あの大ヒット映画「君の名は」や「天気の子」で有名になった新海誠監督が手掛けた珠玉の作品です。
私は春秋の日暮れ頃の少し冷たい風に吹かれた時など、頭の中に山崎まさよしOne more time, One more chance」が流れてきて、無性に観たくなる映画です。

初めて観た時は、よく分かりませんでしたが、2回3回と観れば観るほどハマってしまう初めての感覚でした。

ただ、観終わると同時にとてつもないセンチメンタルが押し寄せるため、取扱注意です。中毒性があるため、私もBDで持っていますが、鑑賞は年に2回と決めています。

 

センチメンタリストの方は、是非一度見て頂きたいです。

 

7月7日は何の日?

7月7日について「何の日?」と聞かれたら、まず「七夕(たなばた)」と答える人がほとんどではないでしょうか。
そして七夕でイメージするのは、織姫と彦星、天の川や、短冊に願い事を書き笹に下げるということ。

 

ただ、一つ疑問に思ったことはないでしょうか?
七に夕と書いて「たなばた」と読む、これは通常の読み方ではなく当て字ですよね。

 

そもそも「彦星と織姫」の話は、奈良時代に中国から伝わったとされています。
その頃は「七夕」と書いて「しちせき」と呼ばれていたそうです。
では、なぜ「たなばた」と呼ばれるようになったのか、その語源を探ってみました。

 

日本では、その昔、乙女が着物を織り、棚に供えて神様を迎え、豊作や人々のけがれを祓うという神事、行事がありました。
その行事は、機(はた)織り機で織った着物を棚に備えることから「棚機(たなばた)」と呼ばれていたそうで、7月7日の夜に行われていたそうです。

 

その後、中国から伝来した「七夕(しちせき)」と時期が重なる事から「七夕」が「たなばた」という当て字で呼ばれるようになっていったそうです。
「七夕(たなばた)」という言葉は中国と日本のミックスカルチャーだったんですね。

 


余談ですが、日本古来の「棚機」で着物を織っていたというところから、
日本ゆかた連合会が7月7日を「ゆかたの日」と制定しているそうです。

 

また、「七夕」「ゆかたの日」から、織姫の髪型や、浴衣姿にポニーテールがよく似合うという事で、日本ポニーテール協会は7月7日を「ポニーテールの日」と制定しているそうです。
活動内容としては、ポニーテールの可愛らしさ、魅力を研究し、発表するといった事をしているそうです。

 

ゆかた連合会はまだしも、ポニーテール協会って…日本は平和ですね。

ホームページやTwitterもありますので興味がある方はどうぞ。

ちなみに日本ツインテール協会もあります。

武衛…上総広常ロス

鎌倉殿の13人 第15回 足固めの儀式

 

辛い…。こんなにも悲しい気持ちに、こんな序盤でなるとは思わなかった。

今回のキャストの中でも色気を放ち、更にチャーミングで魅力的なキャラクター「上総広常」を演じていた佐藤浩市さんが今回でフェードアウトする形となった。

 

第7回で佐藤浩市さんが登場した時には、こんな大物俳優も出るのね、さすが三谷作品。と高ぶったが鎌倉殿の「13人」にはどうやら含まれていないと知った。

だが、登場時の役どころとしては平家勢力に圧され窮地にあった頼朝に2万の兵を率いて味方する房総勢力では最大の力を持った坂東武者であった。

最大勢力でありながら、鎌倉幕府においてその名前が無いことから、どこかのタイミングで死んでしまうのだろうなとは予想していたが、まさかこんな最期を迎えるとは…。

 

平家討伐の動きを木曾義仲に先手を打たれ、対平家から源氏同士の争いへとなっていく最中、都の情勢ばかりに目を向ける頼朝に対して、御家人たちは嫌気が差し、人質として預かっていた義仲の嫡男「義高」を擁立し頼朝の失脚を企てる。

二分してしまった鎌倉を何とかしようと義時は大江広元と連携し策を練る。
そして義時は、頼りにしていた上総介に謀反の勢力に加わり、その動向を監視調整して欲しいと頼む。

上総介は頼朝を武衛(意味は履き違えているが)と呼ぶほど慕っており、その役割を果たし、謀反の計画は失敗に終わる。

 

上総介の働きに対し大儀であったと褒め讃え、酒を酌み交わす頼朝と上総介。
それに対し、御家人なんざは使い捨ての駒だ、己の道を行けばいいと返す上総介。
上総介がいたから、今の自分がいると言う頼朝に照れ笑いする上総介。

 

しかし、その謀反にあたって何の処罰も無しには出来ないとの事から、誰か一人を見せしめに粛清するというところで名前が挙がったのが、まさかの上総広常。

最も頼りになるものは最も恐ろしい、と上総介の事を脅威に感じていた頼朝が、敢えて上総介を謀反に加担させ、責めを負わせるという策略だったのだ。

承服できないと訴える義時の声も空しく事は進んでいく。

 

そして集めた御家人たちの目の前で、わざと上総介を斬り付けさせ粛清を見せつける事を実行する。
状況が把握できない上総介は義時に助けを求めるが、義時は何もすることが出来ず、ただ俯くことしかできない。

 

そんな中現れる頼朝に悲痛な表情で「武衛…武衛…」と呼びかける上総介。
しかし頼朝は無言のまま、その視線は冷たく…。
堪らず駆け寄る義時に頼朝は、来ればお前も斬る、と言い放つ。
そして梶原景時の刀が上総介の身体を貫く…。
上総介が最期に目にしたのは涙する義時の姿…。

 

上総介は最期のその瞬間、何を思ったのだろうか。

後に見つかった上総介の祈願所には、京に登る前に懸命に覚えた拙い文字で、頼朝の大願成就と東国の泰平を願い、むこう3年の間にすべき事といった内容が綴られていた。

 

これを読んだ頼朝は、一体何を思ったのだろうか。

 

なんと哀しい上総広常の最期だろうか。

この後も頼朝は人を信用することが出来ず、脅威の芽は潰すという考えは変わらないのだろう。史実にも有名な頼朝と義経の関係より前にこんな話があるとは…。

また今回の話が伏線となって物語は進んでいくのでしょうが、兎に角哀しい。
この先、頼朝のひょうきんな一面を描くシーンがあったとして、果たして笑えるだろうか…。

まだまだ先の長い大河ドラマですが、上総、好きなキャラクターだっただけに心折れそうです。

 

ただ、こんな気持ちにさせる俳優陣、佐藤浩市さんの演技に胸が熱くなる。

ある意味、神回。

 

 

amzn.to

【庭いじり】芝のお手入れ(3月~4月編)

我が家では2年前に狭いながらも庭に芝生を張りました。

人工芝か迷ったのですが、四季の移り変わりを楽しむために天然芝を選びました。
しかし、これがまぁ定期的なお手入れ、メンテナンスがいる事いる事。
ちょっと人工芝にしておけば良かったかなと思う時もありますが、頑張っています。

(因みに我が家の芝は「TM9」という品種の背丈が伸びにくく芝刈りの回数が少なくて済み、お手入れが楽との謳い文句の芝生を育てています)

密度も高くて見た目が良いです!

 

芝を張った初めの年や2年目はまだ根張りが不安定でお手入れも慎重に考えてやっていたのですが、3年目に入り安定感も出てきました。

ですので今回は、今後通常のサイクルで行うであろうお手入れについて、私が行った3月~4月期の作業をまとめていきます。
この時期の作業は、冬枯れした芝生を緑の芝生にするための大事な一歩になります。

 

 

1.サッチング

冬を越して枯れた葉などが、芝の表面に蓄積されたものをサッチといいます。
これを残しておくと通気性が悪くなったり、水はけが悪くなるため必ず取り除いておいた方がいいです。
このサッチをレーキや熊手などで掻き出す事をサッチングといいます。

芝生全体をカリカリと引っ搔いていく作業になりますので、地味に体力が要ります。
でも、掻き出したサッチが集まっていくと牧場にコロコロしているわらのかたまりのような物ができて楽しいです。

(※注意点として芝を張ってから、最初のこの時期にサッチングを行うと、根がまだ不安定な部分がある場合、芝が剝がれてしまう場合があるため慎重に。私は去年、サッチングをしようとして芝を剥がしてしまいました)

伸縮式で長さ調整ができて、かつ軽いレーキがオススメです。

 

2.エアレーション

エアレーションとは、芝生に穴をあけて通気性を良くしたり、水はけを良くするための作業です。また冬を越して固くなった地質の改善の目的もあります。
ローンパンチという道具を使って地面にたくさん穴をあけていきます。だいたい15cm感覚くらいであけますが、地面の硬さによって硬いなと感じる所は多めに穴をあけます。

似た商品に根切りの物があるので、穴あけ用と間違えないように!

 

3.芝刈り

サッチを除いても残っている茶色い葉は、春が来ても緑に復活することは無いため、今シーズン初の芝刈りをしていきます。
不揃いに伸びて残った葉を短めに刈り揃えることによって新しく出てくる緑の葉に陽の光が当たってしっかり生育してくれるようにします。

芝刈り機はそんなに高価なものを用意しなくても十分かと。

 

4.目土入れ

エアレーションであけた穴を塞ぐように目土を撒いていきます。
ここで、ただ目土を撒いていくのではなく、せっかく穴をあけたのでそこから土壌改善を図るために「複合微生物資材」というものを目土に混ぜて撒いていきます。
微生物の働きで土が丈夫になって、この後の肥料散布の効果も高めてくれるそうです。
また、芝生全体に目土を撒いていき凸凹した部分を可能な限り平らな状態にしていきます。

この商品が評判が良いみたいで使用しています。


5.肥料散布&水やり

芝生全体に栄養を与えるために肥料を撒いていきます。注意点として固まって肥料を与えてしまうと肥料枯れを起こす可能性もあるみたいなので、できるだけ均等に薄く撒いていくように心がけます。

肥料散布が終わったら、同時に先に撒いた目土や肥料を地面に浸透させるために水やりを行います。
目土入れから水やりまでの作業はワンセットで一気にやった方が良いかと思います。

 

 

3月~4月期の芝生のお手入れとしては、上記のような作業を行いました。
冬を越えて最初に行う作業となりますが、これがキレイな芝生を育成するための一年の始まりとしてとても大事な作業になってくるかなと思います。

 

ここから、また色々と手の掛かってくる芝生ちゃんですが、楽しんで育てていければなと思います。

大人の体感時間について

3月が終わり新しい年度が始まりました。
私事では、今年は仕事で大きなチャンスが舞い込み、奔走した忙しい一年でした。
色々な出来事がありましたが、振り返ってみるとあっという間だったと感じます。

 

また、この季節は環境が変わって、新たに取り組むことが始まり、色々なことをこなしていく中で、一日があっという間に過ぎてしまうのではないかと思います。
逆に人によっては、その環境の変化によって一日が長く感じてしまうという人もいるかも知れません。

 

時計が刻む時間は誰にも等しく進行するはずなのに、この感覚の違いは何なんでしょうか?

 

一説によると、大人の体感時間は子供のおよそ6分の1、つまり子供の1時間は大人の10分に相当するらしいです。
その要因としては、大人になるにつれて「初めて行う事」というのが減っていくため、体感時間が早くなってしまうのだそうです。

 

なるほど、年齢が感覚の違いを生むのか。
たしかに昔の方が、一日を長く感じていたような気がする。
今は会社勤めで毎日似たようなことの繰り返しの日々。
マンネリズムが体感時間を加速させるのか。


この対処法としては、どんな些細な事でもいいので、一日一つ人生で初めて行うことに挑戦してみると体感時間を長くできるそうです。

新しいことに触れて知識や経験を積むことができ、またそれによる新鮮さを感じることで、体感時間を長く感じる事で充実感を得られるならば一石二鳥ですね。

 

新しい年度は、何か新しい事にどんどん挑戦していくことで、充実した時間を体感できるといいですね。

 

また、楽しい時間は短く、退屈な時間は長く感じるという不思議もありますが、それはまた別の機会に。

 

声がコンプレックスで、苦手だったカラオケが、週一で通うほどの趣味になるまで

私は人前で歌うことが苦手でした。
小さい頃はとくに気にすることも無く友達とアニメの歌など歌っていたのですが、時期としては、小学校高学年、声変りをし始めた頃からだったでしょうか…。
自分でも驚くほど声が低くなってしまったのがきっかけだったと思います。

 

今では、声は渋くてカッコいいよね!とか、
イケボで好きだなぁ。あ、声だけね!とか、
「声だけ」は褒められるので、自慢の長所の一つなのですが。
当時は、ただのコンプレックスで仕方ありませんでした。

 

音楽の授業での合唱でも同級生よりも声が低いため、求められる高いキーが出ないんですよね。なので、口パクで歌っているフリをしてやり過ごしていました。

 

中学校に上がるとみんなでカラオケに行こうという遊びの選択肢が追加され、初めこそ断っていましたが、雰囲気で参加せざる負えない時もありました。

順番に曲を入れていく流れの中「自分はいいよ」と断っていても何でもいいから歌いなよと回ってくるデンモク(当時は本だったかな?)

 

仕方なく自分の音域のキャパで歌えるであろう苦渋の決断で入力。
「演歌」

 

決してウケ狙いの選曲では無かったのだが、爆笑される。
歌がコンプレックスだったため、最新の曲も知らなかった事もあるのですが、全く世代ではない、周りの親の世代よりも上の世代の選曲。

親が遅く生んだ子供だったので小さい頃から知っていただけなのですが、同世代には何だそれ?だったのでしょう。
とにかく笑われて恥ずかしかった覚えだけがあります。

 

それからもなるべくカラオケという場所からは避けていたのですが、カラオケに行こうというノリは増す一方で、嫌々参加する事が続き、なるべくキーの低い演歌や古い歌を歌っては笑われる、を繰り返す。

 

そこでようやく吹っ切れる。
どうせ笑われるのなら、「笑われる」より「笑わせる」方がいいな、と。

 

そこから思いついた方向性が「モノマネ」である。
色んな歌を聴き、自分が挑戦できそうなキーの歌手から真似て歌うようにし始めた。
似てる似てないは別として、モノマネをしているんだという形が壁になって守ってくれるため、その辺りから逆に人前で歌う恥ずかしさが薄くなっていった。

 

また、そこで出会った「福山雅治」先生がかなりの恩人であった。
もう、めちゃくちゃ歌いやすい。
上手とまで言われる事もあり、本当に先生には感謝しかない。

 

そうなると少し楽しくなってきて、段々と欲が芽生え始める。
声が低いコンプレックスから、キーの高い歌が格好良く思えていた事もあって、そんな歌に挑戦したいと思うようになってくる。

 

ただ、ここからはそんなに簡単ではなかった。
夜な夜なCDを聴きながら歌って練習をして、父親から「うるさい!何時だと思ってるんだ!寝ろ!寝れないだろ!」と怒られる日々が続いた。

 

こんなの持ってたら怒られずに済んだのになぁ…

 

ゆず、ラルク、ケミストリーなど色々なジャンルの歌手の歌を練習していると、自分の声質?に合う合わないがあるという事に気が付いてくる。

 

なんとなく自分の中で手ごたえを感じてくると、早く試してみたいという感情が湧いてきた。そうして、カラオケという名の発表会に、友達を誘って歌ってみる。
あんなに誘われるのが嫌だったのに自分から誘うようになったのだ。

 

そこからもモノマネを探し求め、見つけたモノマネがサザンオールスターズ
桑田佳祐」さんのマネをしている人も多いのでもっと早く挑戦したらよかった。
独特な歌い方なので、声が高いのか低いのか誤魔化しながら歌えてラク
しかも明らかなモノマネだと分かるのでウケも狙えてお得感!

 

そして次の出会いが現在までのカラオケ好きを構築した大恩人。
それは、Mr.childrenの「桜井和寿」さん!
初めこそ全然声が出なかったのだが、段々とコツを掴んでくると今まで出せなかったような高いキーの声が出せるようになったのです!

そこからミスチルが大好きになり、ミスチルばかり歌うように。
似てるね、の言葉も嬉しいですが、上手いねの言葉も貰えるように!

 

今まで自分には、高いキーの歌は到底無理で歌えっこないと思っていたのに上手いねと言われるまでになった事がとても嬉しかった。
この時点でも既にカラオケが好きになっていたと思う。

 

それでも、まだ、桜井さんの歌い方で掴んだコツを、もっと色々な歌手で試したいという探究心は止むことはなかった。
そこからはどんどんと歌える曲の幅が増えて、モノマネという枠から段々と外れていった。

 

ただ、やはり出ないものは出ないのだなとつまずく曲もあった。
そんなある時、カラオケの会計レジ横に置いてあったサプリが目に留まる。
サプリの名前は忘れてしまったが「これを飲めば天使のような歌声が!」のようなうたい文句だったと思う。

 

半信半疑ではあったが、興味本位で一つ買ってみることに。
実際に使ってみると…天使とまではいかないが、それまで苦しかった場面が楽に出せるようになって、効果はありました!

 

百聞は一見に、いや一粒に如かず。
試す価値ありありです。

 

こんな感じのサプリだったと思う。

これもレビュー多かったので載せときます。

 

そんなこんなで、声が低いことがコンプレックスで歌うことが苦手だった私ですが、二十歳前後の頃は週一と言わず週三くらいでカラオケに通ってました。

 

ここ数年は、キーの高い男性ボーカルばかりの印象なので、私と同じ悩みを抱えている人は私の時よりも大変だろうなと思います。

(あ、でも当時もスピッツがいたな。)

 

あくまで自論ですが、歌が苦手な人はモノマネから入るのがオススメです。
色んな人をモノマネするうちに自分に合った歌い方が見つけられると思います。
そのコツを掴んで応用すればレパートリーの幅がきっと増えます。
たぶん、それは男女共通するところがあるんじゃないかなと思ってます。

 

歌やカラオケが苦手だなって思っている人。
でも楽しみたいな、克服したいな、って思っていたら、騙されたと思って試してみて欲しいかな。

 

私はこれで克服しました。

 

ちなみに選曲的に40代だと思われるかな?

※これでもまだアラサーです。

 

 

とりあえず3年とは言うけれど…本当に3年で辞められても困っちゃう

先日、部下が退職しました。
入社して3年半の事でした。

 

よく入社して3年は頑張れ!という言葉を耳にするが、本当に3年で辞められても困るなぁ、と感じた話。

 

彼は第二新卒で入社して来たのだが、前職は半年程の勤務で転職してきたため、正直いって社会人としてのビジネスマナーも要領を得ておらず、一からの教育でした。

社会人としての心構えや言葉遣いを教えると同時に、職務内容、また営業職のため営業の基礎を同行して教えていたのが1年目。

 

2年目に入り、最低限一通りの事は自分でこなせるようになり自分の担当エリアを持たせた。既存取引先の対応は出来るものの営業で新しい顧客を開拓するのはまだまだであった。

ただ、後輩も入った事で意識的には下に情けない姿は見せられないとなったのか、仕事に対する姿勢は向上しているようにも見えた。

 

3年目、まだまだ覚えてもらわなきゃいけない事もあるが、慣れを感じ自分のリズムで仕事を回せるようになって来たのかなと感じた。後輩に対しても一丁前な発言をするような事もあったが、先輩上司に対して頼りになるような発言も時々垣間見えるようになった。

 

決して他の社員と比べると優秀な方ではなく、手のかかる方であったが、年数を重ねるごとに見える成長を感じていたため3年目はとくに目をかけ、色々なアドバイスやサポートをするようにしていた。

それも、ようやく話が通じるようになった事と、今後の期待感からであった。
石の上にも3年とはよく言ったものだな、とも感じていた。

 

しかし、4年目に出てきた言葉は「転職を考えています」だった。
ようやくこれからと思っていた矢先のその言葉にショックを隠せなかった。

 

今は終身雇用で定年まで会社に尽くすような時代でも無いし、年齢を重ねてからの転職を考えるのは難しいのが未だ日本の現状ではある。

若いうちのスキルアップ、キャリアアップのための転職はむしろ応援したい。

 

現に私自身も転職を繰り返し、今の職に就いている身である。

何なら3年未満での転職を繰り返している。そんな自分の事を棚に上げて、彼を無理して引きとめるのも違う気がする。

 

 

 

ただ、私としては、間違えた言い方かもしれないが、ここまで時間をかけて手塩にかけて作り上げた作品のようにも思えていたのだ。

それが作品として形になってきたところで他人の元へと奪われていくような感じがしてしまった。

 

それでも彼が悩んで出した決断である。人の人生を応援する事はあっても邪魔をするような真似はしたくない。という事で、背中を押してあげることにした。

 

そこから退職までの間、上司への調整役や引継ぎ作業の段取りなど色々と大変であったが、今後の彼の人生の活躍を祈って一先ずお疲れ様とねぎらいたい。

 

 

部下は上司を選べない、上司は部下を選べない、なんて言われるが、会社にお願いしたいことは…、次は3年以上他で職務経験のある中途採用の人をお願いしたい!

とりあえず3年とは言うけれど、本当に3年で辞められても困っちゃう!

会社としては採用コスト、教育コストを回収済みかも知れないけれど、個人としては何だかなぁって思っちゃう!

 

なんて、人の上に立ってみて、上に立つ側の感情を持ちました。

今までお世話になった職場の上司の方々、すみませんでした(笑)